道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

大崎上島日記 癒しの島

今日は、お休み。

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天気も良いし、お庭からの景色は、あいかわらず美しい。

 

どんなに疲れていても、朝、玄関開けてこの景色を見ると、癒される。

毎日、山と海に癒されている日々。

 

街で暮らしている時は、年に何回か充電しに海や山に1週間くらい滞在していたけど、ここでは毎日充電される感じがします。

 

今年は、薪ストーブも来たので、毎晩、火に癒されています。 

legacycode.hatenablog.com

木を燃やす暖かさは、石油ストーブやエアコンとは全然違いますね。

炎のエネルギーをいただく感じで、体が芯から温まります。

 

島の恵みに癒されながら、なんとか、ぎりぎりでやっている日々。

今年も、残すところ1か月弱、なんとか乗り切ろう。

大崎上島日記 混沌の中に身を置く

プログラマー時代に、格闘していたレガシーコード。

レガシーコードとは、秩序のないソースコード

レガシーコード改善は、自動テストで保護しながら、地道にコツコツと、秩序ある陣地を増やしていく作業。

 

最初は、こんなソースコードどうにかなるのか?と、先の見えない暗闇を歩いている感じだけど、少しずつ、少しずつ、自分の掌握した陣地を増やしていくと、そのうち全体の構造が見えてきて、だんだんと秩序が見えてくる。

秩序が見えてくると、最初は、とてつもなく大きく見えたソースコードが、だんだんと小さく見えてくる。

 

新しい仕事もそれに似ている。

最初は、何もわからなくて、何もかも混沌として膨大に見えるけど、少しずつ少しずつ、自分の掌握範囲を増やしていて、秩序ある陣地を増やしていくと、膨大に見えていた仕事がだんだんと小さく見えてくる。

 

混沌の中に身を置いて、その場に留まることが大切な気がする。

最初は、真っ暗闇の激流の中で、何が襲ってくるか分からない不安に押しつぶされそうになるけど、そのうちその環境に体がなれてくると、いろいろなことが見えてくる。

最初は、見えてくるだけで、実際にできることは少ないけど、少しずつ少しずつ出来ることをやっていると、自分の掌握した陣地が増えてくる。

そうして自分の影響範囲を増やしいくと、だんだんと、仕事が小さく見えてくる。

 

プログラミングと養殖全然違うけど、なんとなく似ている。

ほかの仕事も同じかもしれないですね。

大崎上島日記 とりあえず、やってみることの大切さ

ずっと、憧れていた薪ストーブ。

 

いつかは、ロケットストーブで温かいベンチ付きのを作ろと思いつつ、いろいろ思いはありながらも、思い入れが強すぎて、なかなか手をつけらえずにいました。

 

 

http://www.toziba.net/toziba_wp/wp-content/uploads/2011/12/IMG_2378.jpg

ロケットストーブ快適です « TOZIBAトージバ

こんなの作れたらいいなーっと、思いつつ、なかなか、ここまで出来ないですよね。 

 

昨日、連れ合いがお友達のFBの投稿を見て、時計ストーブを置きたいとのいいだしたので、近所のホームセンターに3800円で売っている時計ストーブを、とりあえず設置してみることに。

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煙突は、コンパネを買ってきて、穴をあけて、とりあえず外に出しただけ。

 

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それでも、家の中に火があると、とても、暖かい。

焼き芋もできました!

体が芯から温まる感じは、エアコンや石油ストーブと全然違いますね。

 

ただ、めっちゃ、薪をくう。

今は、家の改造をした時の廃材が山ほどあるので、全然、こまらないけど。

実際やってみると、いろいろなことが分かりますね。

 

この島に来た時から設置したいと思っていた薪ストーブ。

一年近く、考えていていたけど、とりあえず、やってみたら、1時間程度で設置完了。

やっぱり、具体的に動いてみることは大切ですね。

 

4年後には、このかっこいいストーブが似合う家にしたいな。

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ISLA(イスラ)|美山里山舎

 

大崎上島日記 やりたくない仕事を、やりたい仕事に変える方法

一年前に造船所を辞め、養殖場で働き始めて1年経ちました。

 

怒涛のような一年でした、古株の人が何人か辞めて、新しい人も何人かやってました、そして、何人かは数か月で去っていきました。

 

自分も、もうこれ限界かもなぁ、と何度か思いながらも、なんとか、一年続きました。

 

やる気満々で、入ってきたのに数か月で辞めることになってしまった若い子達の話を聞いていると、自分のやりたいこと違ったといって、去っていきました。

 

自分のやりたい仕事を、出来たらそれは、素晴らしいことだと思う。

自分がやりたいことを、分かっているのは、いいことだと思う。

でも、やりたいポジションが、都合よく回ってくるとはかぎらない、仕事って自分のやりたいことばかりではない。

 

だからといって、やりたくない仕事を嫌々やるのは、時間の無駄だと思う。

 

でも、自分のやりたいことと違ったらなら、なんとか、自分のやりたくない仕事を、自分のやりたい仕事に、変えるようなアクションをして欲しかったなと思う。

 

言われた仕事を一生懸命やっていれば、そのうち、やりたい仕事が回ってくる、なんてことはないと思う。

言われたことを一生懸命やって、なんとか終わらせても、次にやってくる仕事は、やっぱり、やりたくない仕事だと思う。

 

この悪循環から抜け出すには、2つしか方法はないんじゃないかと思う。

 

1.やりたくない仕事をやらないでいい方法を考える

2.やりたい仕事を、勝手に始めてしまう

 

やりたくない仕事をやらなくていい方法を考える

 

養殖の仕事は、結構きつい仕事も多くて、普通にやれば、すぐに嫌になる仕事も多い。

でも、どうやったら、この仕事をなくせるだろうか?と、考えながらやっていると、ただの単純作業が、全然、違う仕事に変わる。

 

やりたい仕事を、勝手に始めてしまう

なんで、やりたいくない仕事をしているのだろう?

やりたい仕事でなかったと言って、辞めるくらいなら、頼まれもしないやりたい仕事を勝手にやりはじめて、クビになった方が、ましではないだろうかと、個人的には思う。

 

せっかく、やる気でやってきたのに、続けさせてあげられなかったのは、こちらの力不足で申し訳ないなと思う反面、もうちょっと、いろいろながんばり方があるのではないかぁと思う。

大崎上島日記 なんで、こんなに長時間労働しているんだろう??

今日の晩御飯。

 

お隣さんのフランス人のお父さんが日本に遊びに来ていて、お隣さんのフランス人はどこかに出かけていて、日本人の奥さんとフランス人のお父さんと家の家族という不思議な取り合わせで、一緒に晩御飯食べていたのですが、

仕事の話になって、週6日働いていると言うと、

とんでもなくビックリした顔で、

 

なんで、そんなに働いているんだ?、と聞かれて、

 

う~~ん、なんでだろうか?

 

と、返答に困った。

 

なんで、こんなに長時間労働してるんだろう??

 

街に行けば、たぶん、週5日で、もっと、給料の良い仕事はあるんだろうなとは思う。でも、一日中、コンクリートのビルに閉じ込められる生活には戻りたくないしなぁ。

家でフリーランスプログラマーなら、もっと、自由に働けるのかもしれないけど、家族を養っていけるのかな?どうなんだろうなぁ。

 

外で体動かす今の仕事気に入ってはいるのだけど、

この長時間労働の生産性の低さは、やっぱり、なんとかしないと。

最近、なんか麻痺していたけど、やっぱり、フランス人のお父さんの言うことは正しい。

 

どこからどう変えたらいいんだろう?

このままでは若い子達もそのうち辞めていくだろうし、自分自身も連れ合いの子育て期が終われば、辞めるだろうし。

普通にがんばるだけではダメなパターンだろうとは、思うけど。

 

やるだけやって、ダメなら、その時考えよう。

 

ニーバーの祈り
神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 

 

http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

人に迷惑をかけない生き方は可能だろうか?

なんか、口癖のように人に迷惑をかけたくないという人がいるけど、

人に迷惑をかけずに生きることって可能なのかな?

そんなことを思う。

 

生きている以上は、多かれ少なかれ誰かに確実に迷惑をかける。

何か自発的に動けば100%誰かに迷惑をかけるし、どんなに波風たてずに大人しく息をひそめて気配をけしても、必ず誰かに迷惑をかける。

 

成功するということは、その裏に失敗する人がいるということ。

勝つということは、その裏に負ける人がいるということ。 

 

なら、この世から存在を消してしまえばいいかというと、それでも、生んでくれた親に迷惑をかける。

無人島で自給自足なら?それでも、親はきっと心配するだろうな。

 

それなら、親が死ぬまで、親以外の人間関係を断って、親の前だけで幸せそうな息子を演じて、親が死んだら自らの存在を消せばいいのかというと、それはなかなか難しい。

 

第一に、無人島の自給自足以外で生きていこうとするとお金が必要、その為には、なんらかの方法で社会と関わらなければいけない。

第二に、そんな、まどろっこしいことしてまで生きる意味があるのかと思う。

結局、堂々巡り。

 

生きていたら誰かに迷惑をかける、死んでも迷惑をかける。

結局、生きていても死んでいても、存在している以上何をしても迷惑をかける。

 

そもそも、人に迷惑をかけたかどうかなんて、本当は分からない。

自分が人に迷惑をかけたかどうかの判定基準なんて、その人基準であって、 とても曖昧。迷惑をかけているのに気づかない人もいるし、必要以上に気にする人もいる。

 

なんだか、めんどくさい話になってきたけど、結局、誰かに迷惑をかけずに生きるなんて不可能だということ。

 

誰かに迷惑かけてもいいんじゃないかな?

その分、誰かからの迷惑を引き受ければいい。

親子の関係は基本そうだと思うし、仕事もそうなんじゃないかと思う。

 

自分を助けてくれている優秀な同僚は、誰かに迷惑をかけて育ててもらって、そして自分を助けてくれている。

沢山の人に迷惑をかけて去っていた後輩が、いつかどこかで誰かの助けになったなら、それでいいんじゃないかなぁ。

 

人にたくさん迷惑をかけたと、自覚がある人ほど、他人対して優しくなれる気がする。

大崎上島日記 仕事はシンプル

と、ある人が言っていた言葉。

その通りだなぁと、と思うけど、なかなか、そう思えない仕事も多い。

 

いくら大きな仕事でも、一つ一つは小さなプロセスの繋がり。

小さなプロセスに分解してみると、

 

出来ることは、出来るし。

出来ないことは、出来ない。

出来ないことは、誰か出来る人にやってもらうか、出来るような方法を考えるか。

 

プロセスを小さく分解して、それをゴールまで繋げていく。

 

それだけなんだと思うけど、実際やると結構難しい。