人が育つ関わり方とは?
先週金曜に行ってきた、「これからのリーダーシップ勉強会」のお題です。
https://www.facebook.com/groups/141453232659547/
この勉強会、毎月1回、わざわざ大阪まで行っています。
その日は、実家の母と父に来てもらって子供の面倒を見てもらい、連れ合いには早めに帰ってきてもらって、平日の夜に外出するのって大変なのですよね。
でも、この勉強会大切なことが学べる気がして、続けているのですが、今まで何を学びたいのかよく分かっていなかった。
組織のリーダーになりたい訳でもないし。
直観です。大切な気がするけど、なぜだか分からない。
でも、直観って、今までの経験上、結構正しい。
池谷さんの、本に「直観」と「ひらめき」について面白いことが書いてあります。
(p78)
「直観」も「ひらめき」も何かフとしたときに考えを思いつくという意味にでは似ているのですが、その後、つまり、思いついた後の様子がまるで違う。
「ひらめき」は思いついた理由が言える。
「直観」は自分でも理由がよく分からない。
脳的に言いうと、こう言うことらしい。
「ひらめき」は、大脳皮質の仕事。→意識の仕事
「直観」は、基底核の仕事。→無意識の仕事
今回の勉強会の内容とは直接関係ありませんが。。。
今回の勉強会は、ワールドカフェと言う対話方式でした。
ワールドカフェの対話は無意識に働きかけてくる部分が多い気がしています。
それで、これまでワールドカフェをすると、問が発散して自分のなかで超もやもや状態になるだけったのですが、今回は珍しくすっきりしまいた。
ワールドカフェで、ある人が、「今回の問いかけ「人を育てる」ではないんですね。」一言とおしゃって、その時は、ふーんと思っていました。
で、自分が求めていたもの、
「人が育つ」と言うことです、お題そのままなのですが。。。
「人を育てる」ではなくて、「人を育つ」場を作ることを強く望んでいたことに気が付きました。
最近思うことは、誰も答えの分からないことが多い。
もちろん自分も知らないし、上司も知らないし、ひょっとしたら社外の誰かが知っているのかもしれないけど、誰が知っているのか知らない。
そんな環境で楽しく仕事をしようと思うと、自分で育つしかないと思います。
そもそも、答えがあると思っている方が、間違いで、教育の弊害なのかもしれませんが。
なんとなく思っている事。
人を育てることなんで出来ない、なぜなら、その問題の解き方を知らないから。
自分で解けるようになるように育ってもらう必要ある。
人が育つ場を作る手段があるのなら、丸投げでなく、仕事を奪ってしまうのでもなく、上手くいくんじゃないかな?
そんなことを思っています。