道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

父親の育児日記 叱るは難しい その2

朝から叱るについて考えています。

父親の育児日記 叱るは難しい - 道草道

 

朝一で、叱るについて考えてしまったため・・・。 

叱るについて、思考がぐるぐるしています。

 

引っかかっているのは、「相手のために叱る」。

そんなことが可能なんだろうか?

と言うこと。

 

前の記事『叱るは難しい』で、普段、「怒る」書いているのに、意識的に「叱る」と書いて超違和感がありました。

 

相手の為に叱る?

自分はそんなに偉いのかな?

相手にとって、何がいいかなんてこと、分かるのだろうか?

 

自分の、もやもやはそんなところです。

 

結論として、自分の感情、結果を伝えることしか出来ないんじゃないかな?

 

その子がしたした行動に対して自分は怒っていると伝える。

自分がどれだけ嫌な思いをしたか伝える。

その事によって、どんな事が発生するか伝える。

 

それなら可能な気がするな。

そこから先は、子供がどう判断するか、その子に任せる?

それしかないような。

 

相手の為を思っての行動って、だいたい間違っている。

相手の為という言葉をかぶって、自分の要求を押し通そうとしていることが多い。

 

「叱る」、「躾」、この上から目線の言葉に対して、拒絶反応を示すのは自分だけなのだろうか?