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道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

「鎮守の森」 「木を植えよ!」 宮脇昭 人がいない風景はどんなだろうか?

 

鎮守の森 (新潮文庫)

鎮守の森 (新潮文庫)

 

今、住んでいる場所に人がいなければどんな風景なんだろうか?

もともと、森なんだろうか?草原なんだろうか?

昔、そんなことを考えていたことを、この本を読んで思い出しました。

 

本を読むとき、同じ作者を連続して読む癖があり、次に読んだのがこれ。

木を植えよ! (新潮選書)

木を植えよ! (新潮選書)

 

 

全ての人間活動を停止したときに、その土地の自然環境で最終的に到達する姿を「潜在的自然植生」と言うそうです。

 

本の中で、その土地本来の木による森を、「ふるさとの木によるふるさとの森」と表現されていました。

杉の人工林はもちろん森の本来の姿ではないし、里山も森の本来の姿ではない。

その土地本来の森を探るヒントは、お寺や神社などに残されている「鎮守の森」に、ぽつん、ぽつんと残されいる。

それは昔の日本人が宗教と自然を上手く結びつけて今に残した、世界的に見ても奇跡的な森らしいです。「鎮守の森」に残されたヒントがこれから日本が生き残るヒントになる。そんなお話でした。

 

人工林にしろ里山にしろ、森と人との共生が前提です。全ての山に人手が入らなくなった今の時代、人工林や里山をほっておけば荒れるだけ。

人が使わない山は、人の手を必要としない本来の森の姿を取り戻して、自然に返せればいいんだろうなぁ、そんなことを考えていました。

 

ただ、「鎮守の森」を読んでも、なぜ、それほど「ふるさとの木によるふるさとの森」を作ることを宮脇さんが重要視するのがかよく分かりませんでした。

 

その辺りの話が、「木を植えよ!」を読むとよく分かります。

 

地球という視点で見ると、人は森に寄生してしか生きていけない生物なんですね。

植物が生産する酸素がないと生きていけない存在。

今、森がなくても、人は自分達だけで生きていける気がしていますが、それは大きな勘違いだと、気づかせてくれます。

森が消えることは、生物の人間としての危機である、そんなことを生態学者としての視点で語ってくれています。

酸素を工場で作ればいいじゃないかと言う人が、ひょっとしてたらいるかもしれません、でも、お日様と水が、あれば酸素を自動生成する自然の森の方がどれだけ経済的が誰が考えても分かりますよね。

 

この本を読んで、以外だったのは、草というのはちゃんとした森の中では成長出来ないんですね。木にも相棒みたいのがあるらしく、その相棒がタッグを組んで森を形成しているお話は、面白いです。

 

「鎮守の森」p46 師匠のチュクセン教授の言葉

「現代の人間には、二つのタイプがある。見えるものしか見ようとしないタイプが半分。この人たちは計量化できる要因をコンピュータにインプットして、その資料からいろいろな判断をしていく。

・・・・

もう一つのタイプは、見えなものを見ようとするタイプだ。実は現代の科学技術で計量化でき、見通せるものはまだまだ少ない。むしろ我々はコンピュータにインプットできない見えないものを見る努力をこそするべきだ。それが生物の、そして人類の最後に残された英知ではないか。

・・・」

 本の中では、「潜在的自然植生」を見つける方法としての文脈で出てきていました。

この表現、上手いなあと思ったものの、よくよく考えると、どういうことだろう?

 

  • 見えるものしかみようとしないタイプ

表面的な結果を見て判断する人

現状に諦めている人

自分では何も出来ないと思っている人

命令待ちの人

 

  • 見えないものを見ようとするタイプ

本質を理解しようとする人

夢を実現しようとしている人

何かを変えようとしている人

実現したいことのある人

 

見えないものを見ようとする人でありたいなぁ、と思いました。

 

「鎮守の森」 p160 「最高条件」と「最適条件」

植物が長く生き続ける生態学的条件とは、生理的な要求がすべて満たされない、少し厳しい、少し我慢を強要される状態。これが一番健全な状態で最適条件。それに対し、生理的な要求をすべて満たしてしまう最高条件の状態では、生命は長持ちしない。

 

今の日本は、生体条件でいう「最高条件」に近く、ハングリー精神や生きる力が失われているのだろうというような話が続きます。恐竜やマンモスなどの例のように「最高条件」を満たす状態たいというのは、危険な状態とのこと。

これなんかは、日本人みんなが薄々気が付いていることだけど、生態学と結びつけると納得感があるなあと思いました。