道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

父親の育児日記 お手伝い至上主義

29日に引き続き、4歳と2歳の息子を引き連れ、昨日も大掃除。

父親の育児日記 みんなで年末大掃除 - 道草道

 

年末大掃除二日目です、今日は窓ふきからです。

真剣に窓に向かう二人。

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子供と一緒にする大掃除は、はっきり言って大変です。

想像つくと思いますが、子供はすぐに飽きますし。

おしっこもするし、バケツの水もこぼすし。

ガラスクリナーが気に入って、いろいろなものに振りかけるし。

気が付けば兄弟喧嘩が始まるし。

 

大人だけでする方が圧倒的に早いし、きれいになります。

子供がいると、まったく、効率的ではないです。

一人でする掃除の2倍以上の時間と労力が必要な気がします。

 

なぜ、子供達と大掃除をするのか?

 

1つ目は、楽しいから。

 

なんだかんだ言っても、みんなで、ぎゃあぎゃあ言いながら掃除するのが結構楽しいから。次から次へとトラブルを起こして、腹も立ちますが、小っちゃいながらに懸命に取り組む姿は微笑ましいです。

 

2つ目は、将来への投資。

 

今、この掃除の時間だけを見れば一見、一人で掃除をするのが効率的です。

長い目でみると、こうやって、遊びながら、お手伝いは当然するもんなんだ、当たり前にすることが重要な気がしています。

やりたいと言っているときに手伝いをさせないで、小学生くらいになって、ある日突然お手伝いしろ!っと言っても、それは無理な気がします。

将来、働くこととを、お金(報酬)のためと、なんか割り切って欲しくないなあとの思いもあります。

 

最近読んだ本に、お手伝いに関して面白い内容がありました。

最近、好きなブログで紹介されていた本です。

決められない?決められる?|柴田朋子~キャリアデザインでHAPPYになろう~

 

この本のは、タイトルの通り「決める」技術の本なのでですが、家庭で「決める力」を付ける方法として「お手伝い至上主義」 が紹介されていました。

お手伝い至上主義」は「勉強至上主義」に変わる考え方として挙げられています。

一昔前、日本が右肩上がりの時代には、子供の将来の安定のためには「勉強至上主義」が、きっと間違いのない方法だったと思います。

 

勉強は、手段

何かしたいことがあって、そのための知識を得るための手段。

手段が目的になってしまったら、なんかよく分からない状態になってしまいます。

 

結局、何かしたい、この最初の着火する力が、生きる力じゃないかと思います。

昔、「何かしたい」は当然のことだったのでしょう。

生活を豊かにしたい、車が欲しい、家が欲しい、、、などなど。

今は、よい意味でも、悪い意味でも、あまり欲しいものがない。

昔みたいに外部要因で発火できなくなっていて、自分の力で発火する必要があるんだろうと思います。

まあ、これは自分の課題でもあるんですが。

 

この「何かしたい」は、大人になると減ってくる気がします。

これは、自分に何か出来るという可能性が信じられなくなるからではないかと思います。これは、自分を振り返っての話なので、他の人は分かりませんが。

 

子供のお手伝いは、最初の仕事です。

子供の能力を把握して、見守りながら少しづつ仕事を任せていって、それが、少しずつ大きな仕事が出来るようになっていて、

家庭→学校→社会

と少しずつ大きな集団で仕事が出来るようになっていくのが理想なんでしょうね。

その為には、最初の家庭でのお手伝いの役割が大きい気がします。

そう思うと、昔の祭りとか、青年団とかは、子供を育てるよい仕組みだった気がします。そういう子供を育てる仕組みが壊れてしまっているので、家庭の役割、父親の役割は重要になっているんでしょうね。

 

お手伝いのことを書きながら、子供のお手伝いをしてもらうことと、普段の仕事、ほとんど同じだと思いました。

 

結局、家事はきっと、仕事の役にたつでの、男性も家事した方がいいと思います。

仕事力がアップして、連れ合いにも感謝されて、一石二鳥です。^^

子供の成長も自分の為になりますし。

 

掃除の後のお菓子は美味しいです。

これは、ばぁばからのクリスマスプレゼント。^^

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