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道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

「空気」と「世間」 鴻上尚史 を読んでの感想

僕は 「空気よめ」と言う言葉が、とても嫌いです。

それを言う人は、なんか、自分は何の責任も負わずに、人を操作しようとする意図があるような気がするからです。

自分が命令すれば、何か失敗した場合の責任は命令した人になりますが、「空気よめ」と言われて、読んで失敗した場合は、失敗した人の責任になってしまいます。

責任のない強制力、これは一体なんだろうか?と、前から漠然と思っていました。

 

それで、この本を読んで、なんとなく空気の正体がわかった気がします。

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

 

 「空気よめ」の成立する世界

「空気よめ」が成立するには前提条件があります。それば場が安定している事です。

番組の大物芸人がいて、若手のお笑い芸人が滑った場合に、「空気よめよ」って言って、笑いにもっていく。

お笑いで使われる「空気よめ」は、若手の失敗を笑いに持っていくような、裏ワザ的なと言うか、失敗も食い物にするような、笑いの技だと思います。

それが成立するには、そこではどんな笑いを求められているか、みんな知って、その人がスベったとみんなが認識しているという大前提があると、鴻上さんが言っていてなるほどな~っと思いました。

 

p4

「空気をよめ」というのは、自分がまさに出演しながら、その瞬間に、自分が何をすればいいのか、何が間違っているのか的確に判断しろということなのです。

 それが、いかに難しいことなのか、ちょっと考えただけでも分かると思います。

 

「空気」の定義

「世間」が流動化したものが「空気」と定義されています。

「世間」とは、世間体とか村のルールとか、今は急速に崩壊していますが、昔の日本にあったもです。

流動化とはどういうことか?

「世間」の5つのルールのうち、いくつかが成立したものが「空気」になると説明しています。

世間の5つのルール

1.贈与・報酬の関係・・・お互いさま、もちつもたれつ、もらったら必ず返す

2.長幼の序・・・先輩・後輩、年功序列

3.共通の時間意識・・・同じ時間を生きていると思っている

4.差別的で排他的・・・仲間のために場所取りをするなど

5.神秘性・・・ジンクス、昔からそうしていて変えられない

 

「世間」と「一神教

「世間」の対比として「社会」を上げています。

キリスト教の国(アメリカとか)では、個人が社会に生きている。

でも、日本は個人がなくて集合体として世間に生きてきた。

最近は、「世間」が壊れてきていて、その時々で「世間」の一部が実体化した「空気」がその場、その場で発生している。

じゃあ、日本もアメリカのように強い個人になればいいのかと言うと、それはそれで、難しい。キリスト教などの一神教の国は、神の前にみんな平等なので個人が成立できるのだといっています。そもそも、絶対神の支えなしで個人が立つことは出来ない。

キリスト国は、個人の中に神を持っていて、それにお伺いを立てる。

日本は、世間にお伺いを立てる(立てていた)。

世間が、崩壊した後は空気にお伺いを立てている。

 

「世間」と「空気」振り回されないようにするには、どうすればいいのか?

幽霊が怖いのは、実体が分からないからだと言っています。

日本人である以上、「世間」、「空気」から完全に逃げられなくて、相手にしないといけない。

海外に逃亡しても、親のお葬式とかで親戚に巻き込まれるとかですね。

日本人と結婚するれば、相当な確立で世間に巻き込まれますよね。

完全に縁を切れば、切れると思いますが、そこまで望んでいる人は、なかなかいないでしょう。

 

でも、「世間」「空気」が何であるか知っていれば、必要以上に怯えたり、従ってしまって、しなくてもいいと言うことなんだと思います。

地震や雷などの自然災害が、今でも恐ろしいのは変わりないけど、神秘的な恐ろしさではなくなったように。

「世間」「空気」を生きるための生活の知恵とらえて、絶対的なモノだと思わないことが大切な気がします。