1.23 Fri 京都の町家ヒノコCafeで開催された、『里山と街のつながり創造シリーズ -生きるために必要なモノ・コトはどこにある?』に行ってきました。
Hibana(ひばな) 薪炭革命|「美山里山舎」と「ヒノコびと」がコラボ企画を開催します。
第1部 美山里山舎の小関康嗣さんのお話
元々、東京でSEをしていて、Iターンで美山に来て、この地方伝統の大工の技を習得した小関さん。
都会の生活を、電力会社に飼われているブロイラーに例えるなど、なかなかアグレッシブな雰囲気の方でした。
でも、確かに、食糧、エネルギー、水、生命維持に関わる、土台を全てお金で賄う生活はどうなんだろう?と前から思っていただけに、とても納得出来る話だった。
全てを自給しようとは思わない。
でも、全てをお金に頼る、今の生活は明らかに、行き過ぎだと思う。確かにお金は便利、でも、何か一つに頼り切るのは危うい。生命維持するための土台の半分くらいは、なんとか自給できるようになりたいと思いました。
美山里山舎で、提供しているというシェアハウスが気になりました。ただ、単身者用らしいので、家族では無理みたいですが。
第2部 田歌舎の西村舞さんのお話
とても、楽しそうに田舎暮らしを語っておられたのが印象的でした。
お金を獲得するための技術ではなく、生きるための技術を獲得するために田舎暮らしをしている。そんな印象でした。
生きるための技術、食べ物を自然から調達する。
そんな当たり前だけど、今の若い世代は、完全にそういう技術が欠落しているし、誰も教えてくれない。
それを取り返しに田舎に行っている、そんな印象のお話でした。
まとめ
二人の話を聞いて思ったことは、お金の為でなく、生きるために働いている人は、しっかり地に足が付いている感じがしました。
以前話を聞いた、木こりの海老澤さんも、そんな感じがしました。
木こりさんが街へ下りてきた ~プラスチックから木へ - 道草道
お金は本来、いくつかあるモノを手に入れる手段の一つはず。
でも、いつの間にか、お金を唯一の手段だと思い込んでしまって、お金が全ての目的になってしまっている。
給料で払われたお金が自分の価値だと勘違いしてしまう事が多い気がします。
Iターンするかしないかは、連れ合い、子供達と、ゆっくり話あうとして。
なぜ、滋賀でなく京都の田舎に行くか考える余地もありますし。
イマココでも、お金から距離を置くこと、生活基盤の自給自足はある程度可能な気がしているので、それをやっていこうと思っています。
キーワードは、百姓かな?と言う気がしています。
一つは、そのままの意味で農業を始める。(家庭菜園レベルの)
もう一つは、百姓は、農家という意味ではなくて、「百(多く)の職業を持つ人」という解釈もあるようです。
百の職業を持つ人を目指そうかと思います。それについては、また、書きたいと思います。
美山里山舎と田歌舎の共通点
HPを見ていて思ったのですが、美山里山舎も田歌舎も、とてもオシャレです。
昔は自給自足=ワイルドライフ、修行僧、野生、汚い、みたいなイメージでしたが、そんな雰囲気を感じない。
とりあえず、お気に入りの場所になりそうな予感がして、わくわくしています。
こんな近い範囲のところに、お気に入りの場所が出来れば、素晴らしい。
春になったら、一度、遊びに行こうと思います。