責任を取る権利 失敗する権利
「責任をとるとは、どういうことだろうか?」自分で書いておきながら、フィードバックをもらったことで、自分の本来、言いたかった事と違う、と言うことに気がついた。^^;
誰が責任とるねん?の一言で潰される様なもんなら、出直してこいと私は思うかな〜。そこは関係性もあれば上位者の覚悟も絡むし。
自分が、どうなんだろう?と思っていたのは、責任をとる権利を認めない人が結構いるということです。
本来、その人でも責任とれるはずの範囲の事を、「誰が責任とるねん?」と言ってやらせてくれない。
そんな時に、どういうケースなら「自分が責任とりますから」と、言えるのだろうか?と思っての、「責任をとるとは、どういうことだろうか?」を考えていたようです。
他人にフィードバックを貰わないと、自分が何に不満を持っていたのか?分からないと言うのは、自分のことながら心は難しいですね。
失敗する権利
責任を取る権利がないと言うことは、失敗する権利もないと言うことです。
本人は親切心のつもりかもしれない、でも、常に成功しか許されないのは、相当に精神的負荷が大きい。自分が、どんどん縮んでいってしまう。
失敗が許されないと、自分の限界がどこなのか分からない。
常に失敗までの余裕を持たせて活動するので、どんどん自分の可能性を限定してしまう。その結果、失敗はしないけど、成長もしない。
責任を取る権利
子育てでも、仕事でも、その人の責任を取れる範囲で責任を負うことは、権利なんだろうと思います。
でも、責任範囲の見積もりが甘くて、責任が取り切れない、そんな時にリスクを引き受けるのが保護者の役割なんだろうと思います。
責任を取る、リスクを引き受ける、こんな事は学校でも習わないし、誰も教えてくれない。コミュニケーションの方法と同じで、きっと、自分の親を見本に、みんな自己流で習得するんだろうな。