「失われた10年」という言葉が嫌いです。
バブル崩壊後の1990年代を「失われた10年」と呼ぶようです。
1978年生まれの僕にとっては、物心がついた時には「失われた10年」が始まっていて、自分の人生にケチをつけられたような気分になります。
ず~~っと、嫌な言葉だと思っていのですが、先日、この本を読んでいてなるほど、そういうことだったのか!っと、すっきり。
p230
私は、「失われた」と言う表現自体に、大きな嘘と欺瞞を感じるのです。
まるで、自分とはなんの関係もないことが原因で日本の経済がダメになってしまったかのように「受動態」で語られていることに、納得がいかないのです。
p235
ひと言でいえば、TOPIXが2%しか上昇していない理由は、日本の大企業がダメだったからです。
p235
日本の東証一部に上場している会社の7割は、この10年間で利益が倍になっている
作者曰く、日本経済の足を引っ張っているのは「日本経団連」で、要は誰もが知るような大企業が名を連ねている団体です。この大企業が業績がボロボロだった。
このような人たちが日本の経済界のリーダーなので、「この10年間、日本はダメだった」と言うに決まっています。「日本は良かった」と言ってしまったら、自分の経営者としての無能さを世間にさらけ出してしまう事になるからです。
結局、バブル期に絶好調だった大企業が、バブルの崩壊に対応できず、
自分は悪くないんだ、環境が悪いんだ!
と声を大にして言っている。
失われた10年、失われた20年・・・・。
どこまで、失われ続ければ気が済むのか。
誰がブラック企業を生み出すのか?
p89
従業員に過重労働を強いる「ブラック企業」を生み出しているのは、私たち消費者です。
低価格帯の旅行ツアーが流行るのも、居酒屋チェーンが朝まで長時間営業しているのも、「お客様のため」と言えば聞こえはいいですが、要は、私たち消費者が求めているからです。
日本人はお金しか信じていない
p46
人を信じられず、お金しか信じられない。それが日本人の本当の姿なのです。ちょっと寂しい気がしますし、日本人として恥ずかしい気持ちにもなります。
「そんなことはない!」とお怒りになる方もいるかもしれませんが、残念ながらそれが現実です。「お金しか信じられない」という思想は、「現金・貯金が大好きで、寄付しない」という実際の行動の結果に、端的に表れているのです。
人はだた生きているだけで価値がある
p82
たとえば、一番端的な例として、赤ちゃんを考えてみましょう。赤ちゃんは何も出来ないし、もちろん1円も稼ぐことは出来ませんが、立派な経済主体です。
なぜなら、赤ちゃんがいることによって成り立っている会社や産業がたくさんあるからです。
p84
社会貢献とは、新しい何かをつくりだすことだけではなく、消費することによって成し遂げられるものです。
世の中に「虚業」なんてひとつもない
p188
お金のあるところからお金のないところにお金を流すことが、金融の役割なんですね。
p188
いま、お金はないけれど、家や工場を建てたい、もしくは起業したいという人に、余剰資金を融資や出資といったかたちで提供することは、その人にやる気と信用さえあればお金がなくてもチャレンジできる社会のために、絶対必要な仕事なのです。
なんだか、引用ばかりになってしまいました。
何となく読んだお金に関する本でしたが、とても興味深い内容でした。
p243
あなたには、「お金」よりも信じられるものがありますか?
あなたには、「お金」よりも大切なことがありますか?
この作者が、最初と最後に問いかけるメッセージです。
本当にちゃんとお金について考えないといけないと気付かされます。