今日は10年目の結婚記念日でした。
連れ合いからFaceBookで、ありがたいメッセージを頂きました。
結婚記念日。
10周年*\(^o^)/*
子どもが、授かるまでよく通ったどら焼きにて乾杯。
イルミネーションも、2人で見てたのとは違う。
こんな私を丸ごと受け止めてくれる夫と出会えたことで、ものすごく安定した私。
私でいいんだって心から思える今。
本当に10年ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますって感じです(*^^*)
そんな言葉を貰って思うことは、僕は一人では、そんなに大した人ではない。
他人を丸ごと、受け止めるような包容力もないし、余裕もなし、自信もない。
でも、連れ合いが僕がそんな人だと心から思ってくれていることで、僕はそんな人になっているのだろうと思う。
そして、僕が今のような人になたっことで、連れ合いからそのような人だと思われている。
人は誰かに信じてもらうことで人はそんなに人になり、そんな人になったことで誰かに信じてもらえる、そんな関係なんだと思う。
卵が先か鶏が先かの話によく似ている。
それは、子供との関係にも言える気がする。
子供がパパはすごい、と純粋に思ってくれている事で、パパはスーパーマンになる。
本当のパパは凄くもなんともない、自分が父親になって、その事はよく分かった。
それは、会社での後輩との関係でも、同じような体験をした。
と、ある事情があり、来年今のチームを抜けなければならい。
それで、ある一人の後輩に事情を説明しチームのリーダー役をしてもらえるようにお願いした。
それから一週間くらいで、その人の顔がリーダーの顔になった。
人からリーダーだと思われることで、リーダーになり。
リーダーになったことで、リーダーとしての風格が出てきた。
信じることの力は、思っているより、凄いのかもしれない。
その人の可能性を心から信じた時、その人の可能性は開花するのかもしれない。
それは、逆の事でも同じことが言える気がする。
ある人をダメだと思うことで、その人は自分がダメと思うようになる。
自分がダメだと思うことで、本当にダメだとみなされるようになる。
ふと、「嫌われる勇気」の言葉を思い出した。
誰かが始めなければならい。他の人が協力的でないとしても、それはあなたに関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
そんなことを思う、結婚10年目の記念日でした。