道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

人に迷惑をかけない生き方は可能だろうか?

なんか、口癖のように人に迷惑をかけたくないという人がいるけど、

人に迷惑をかけずに生きることって可能なのかな?

そんなことを思う。

 

生きている以上は、多かれ少なかれ誰かに確実に迷惑をかける。

何か自発的に動けば100%誰かに迷惑をかけるし、どんなに波風たてずに大人しく息をひそめて気配をけしても、必ず誰かに迷惑をかける。

 

成功するということは、その裏に失敗する人がいるということ。

勝つということは、その裏に負ける人がいるということ。 

 

なら、この世から存在を消してしまえばいいかというと、それでも、生んでくれた親に迷惑をかける。

無人島で自給自足なら?それでも、親はきっと心配するだろうな。

 

それなら、親が死ぬまで、親以外の人間関係を断って、親の前だけで幸せそうな息子を演じて、親が死んだら自らの存在を消せばいいのかというと、それはなかなか難しい。

 

第一に、無人島の自給自足以外で生きていこうとするとお金が必要、その為には、なんらかの方法で社会と関わらなければいけない。

第二に、そんな、まどろっこしいことしてまで生きる意味があるのかと思う。

結局、堂々巡り。

 

生きていたら誰かに迷惑をかける、死んでも迷惑をかける。

結局、生きていても死んでいても、存在している以上何をしても迷惑をかける。

 

そもそも、人に迷惑をかけたかどうかなんて、本当は分からない。

自分が人に迷惑をかけたかどうかの判定基準なんて、その人基準であって、 とても曖昧。迷惑をかけているのに気づかない人もいるし、必要以上に気にする人もいる。

 

なんだか、めんどくさい話になってきたけど、結局、誰かに迷惑をかけずに生きるなんて不可能だということ。

 

誰かに迷惑かけてもいいんじゃないかな?

その分、誰かからの迷惑を引き受ければいい。

親子の関係は基本そうだと思うし、仕事もそうなんじゃないかと思う。

 

自分を助けてくれている優秀な同僚は、誰かに迷惑をかけて育ててもらって、そして自分を助けてくれている。

沢山の人に迷惑をかけて去っていた後輩が、いつかどこかで誰かの助けになったなら、それでいいんじゃないかなぁ。

 

人にたくさん迷惑をかけたと、自覚がある人ほど、他人対して優しくなれる気がする。