子供が出来てから、「この子達の生きる未来はどんな時代になるのだろうか?」と、よく考えるようになった。
右肩上がりの高度成長期は終わり、右肩下がりの時代が始まっている気がする。
自分一人で生きる分には、山奥で自給自足するのもありだろうし、海外に逃亡するのもありだろうと思う。
こんな記事もかなりリアルな問題として、全く他人事とは思えない。
これからどんな時代が始まるのだろうか?
右肩下がりの時代と言っても、どんな風に下がるのか?
これまでの歴史を振り返って、明らかな事は、栄えた国は必ず衰えるということ、栄続ける国などない。
夏草や兵どもが夢の跡
である。
戦後、急激な高度成長期を実現した日本は、どんな下降を経験するのだろう?
下降しない可能性もあるかもしれない。
でも、いつまでも、失われた10年、20年と、右肩上がりの幻想にとらわれるのは現実的ではないと思う。現実を直視することが必要だろう。
では、これからどんな時代になるのだろう?
と考えてみるが、誰にも未来を予測することは出来ない。
ドラえもんのタイムマシンでもあればいいのだが・・・、
未来を覗くことが出来れば、有利に生きることが出来る。
未来を予想することは出来ないが、でも、ほぼ確実だろうと思われることもある。
それは人口の推移。
急に伝染病が流行ったりしない限り、確実に高齢化は進む。これは誰が考えても間違いない。
スポーツでも仮想の敵を想定してシミュレーションをしてみたり、受験でも予想問題を解いたりする。
そんなことをする理由は、本番前に本番に近い状況で仮想の敵と戦うことで、対策を練って経験値を上げ、勝つ可能性を少しでも高めるためである。
未来に確実に起こる現象が高齢化なら、何か対策はあるだろうか?
一つはっきりしている事は、高齢化は、もうすでに日本各地で始まっている。
高齢化の最先端は過疎化の村。
つまり、過疎の村に行けば、将来必ず起こる超高齢化社会を事前体験することが出来る。これから起こる超高齢化社会から逃れることが出来ないなら、過疎化の村に行って高齢化社会をいち早く体験することが、これからの時代をどう生きるか?考えるヒントになる気がする。
そのタイミングは、今がいいと思う。
その理由は、今の日本はいろいろ問題があると言っても、まだ十分に豊かだから。
僕は海外青年協力隊としてアフリカのモザンビークと言う国で暮らしたことがあるが、その時感じたことは、やっぱり日本はとんでもなく豊かな国だということ。
年金にしろ、借金にしろ、オリンピックにしろ問題は山積みだ、その山が本当に崩れる前に、なんらかの行動をとる必要があると思っている。
今なら、まだ、日本は豊かな国だ、ただ、未来は分からない。
何かやるなら、まだ、少しでも余裕がある今やる必要がある。
そんな気がしている。
変化は本当に変わろうとしている人からしか生まれない
ニュースで年金やら借金やらオリンピックやら、これからどうなるのか?毎日のようにやっている。
でも、よくなる兆しはあまりない。
その理由は、いろいろ問題点はあるが、なんとなく生活できているからだと思う。
本気で変わろうという意思がまだまだ弱い、危機感がそこまで高くない。
でも、本気で変わろうとしてい人達もいる。
それは、高齢化に直面しているの田舎の村の人達。
それは当然で危機感が全然違う。
近い将来、自分達の村が無くなろうとしている危機感。
今、地方の村が面白い
未来に対して危機感を持ってい人達、現実の危機感に直面してる村、その利害関係が一致してなのかどうなのか、地方の村が面白い。
本気で変えようとしている人と、本気で変わろうとしている人が組み合って、日本の地方の村で面白いことが始まっているのを感じる。
地方の村に、なんだか面白い人達が集まって面白いことが始まっている。
国みたいな大きなレベルで変わるのは、ほぼ不可能な気がする。
でも、地方の村のレベルなら変われる可能性は高いと思う。
最近感じることは、
日本の最先端は過疎の村にある
都会にあるのは過去の栄光
ITと言う武器
地方が面白い理由は、ITの発達もあると思う。
もう、何かを発信するのは都会である必要はない。
面白いものさえあれば、世界各地どこからでも発信することが出来る。
- 危機に面した過疎化の村
- 危機感を持った面白い人達
- IT技術
この条件が揃うことで、地方から面白いことが起こる準備が整いつつある気がする。
日本の未来がどうなるのは分からない。
でも、今、田舎で面白いことが起こる芽がどんどん出てきているのではないか?
なんだか、そんな気がしてならない。