道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

結局、行きつくところは死の問題

なんか、禍々しいタイトルではじめてしまいましたが、、、

 

40歳になって、若い頃のような、劣等感、悩み、がすっかりなくなってしまったような気がします。

 

劣等感は、悩んでいる状態を自分に許すための道具。

出来ない理由を自分の中から探して、自分はダメだから、出来ないんだと、自分を納得させる。

 

でも、自分と何を比較するかによって、自分のポジションは変わってくる。

小学生の集団に入れば、自分は大人だし

おじいちゃんおばあちゃんの集団に入れば、自分は子供だし

黒人の国行けば、自分は白人だし

バレーボールの全国大会にいけば、180cmでも小柄だし

何と比べるかによって、自分は同じでも結果は全然変わってる。

 

悩みは、どうしようか?と思っているから悩むのであって、どうするか決めて、やっちゃえば悩みは消えて、不安と後悔に変わる。

 

でも、後悔は不安の副産物のような気がするので、結局、

 

悩み→決める→不安

 

不安の正体は何だろうか?

と思うと、

 

お金が稼げない→生活できない→死

 

単純に、書いてしまえば、そういうことではないのだろうかと思う。

 

不安の正体が死だとしたら、どうすれば、いいのだろう??

 

今、死んでない状態で、考えても、どうしようもない。

 

結局、頭の中で、「どうしよう?」「どうしたらいい?」と、答えの出ないぐるぐる、ぐるぐる、リピートしている状態が不安の正体みたいなことが、書いてあった気がする。 

考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

 

 

座禅をしていると、段々とそんな心の声がおさまってきて、静かになってくる。

結局、不安も自分の脳活動の産物で、無駄に脳がリピート状態に入ると発生するじゃないかと思う。

 

どれだけ、テクノロジーが進化しても、人の体は超アナログ。

昔からほとんど進化していない。

座禅とか宗教とか、昔の人の知恵の集大成はよく出来ているなぁと思う。

 

今日もいい天気。

天気一つで、気分が晴れたり、気分が沈んだり。

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どうもいい話ですが。

(まあ、このブログ自体どうでもいい話しかないのだけど。)

壊れていた、網戸修理しました。

網戸のサッシ自体が、破損していたのでマジックテープタイプの直つ窓枠に貼り付けるタイプの網戸をつけてみました。

取り付けも楽だし、見た目も綺麗で、なかなかおすすめです。