大崎上島日記 リモートワーク半年 リモートワークの現実
昨日のブログ、タイトルにリモートワークと入れた割に、リモートワークに触れることを忘れていた。
リモートワーク、孤独とか寂しいとかのネガティブ記事から、通勤がない自由などのポジティブ記事まで色々ありますが、僕としては、めっちゃ楽です。
連れ合いには、いつもお気楽そうでいいねと言われ、子供達には鉄工所に働きに行っている土曜日以外は仕事していないと思われているような、感じです。
リモートワークはライフスタイルの選択
結局のところ、オフィスワークにもいいところがあって、悪いところがあって、リモートワークにもいいところがあって、悪いところがあって、どっちがよくて、どっちが悪いってものでもないと思います。
最終的には、どんなライフスタイルを選択したいか?
の問題でしかないように思います。
僕は、島に住みたかったし、子供達と接する時間も作りたかったし、畑する時間も欲しかった。
なので、リモートワークは、とてもよい選択だったと思っています。
リモートワークが合う会社と合わない会社がある
僕が働いているトラベロコという会社は、ミッションとして、以下をあげています。
全員がロコのように「場所」「時間」にとらわれない働き方をしよう
トラベロコに関わる皆が自律的に「自由」な働き方をすることで、トラベロコの理想に向かって進んでいけるような場にしよう
ロコとは、海外在住の日本人をさしていて、住む場所や働く時間を自分で選択して決めている自由な人的な意味合いで使っていると思っています。
トラベロコは哲学からして、リモートワークをし無くして存在できないような会社なんですよね。
なので、いつ働くか、いつ休むか、どこで働くか、全て働く人任せです。
GWはいつから休みか聞くのは野暮だよね、って言われて、若干、困る感じです。
別に効率化や生産性や働き方革命のためにリモートワークをやっているのではなないんですよね。
逆にいうと効率化や生産性や働き方革命のためにリモートワークを取りれる会社って、やっぱり、そのうち無理になってやめるのではないかと思います。
リモートワークで一番大事だと思うのは相手を信じること
完全に管理しないリモートワークしていると、相手がちゃんと働いていると信じるしか方法はありません。
これって、旅先で大きなお札しか持っていなくて、売店の兄ちゃんが「両替して来るわ」と言って、どっかにお金を持ってい行ってしまって、待っている状況に結構似ている気がしています。なかなか帰ってこなくて、これは騙されたか?と思っていたら、ちゃんと帰ってきたみたいな。とりあえず、帰ってくると信じて待つしかないみたいな感じ。(分からない人には分からないかもですが。。。。)
相手は一人前の大人なんだから、管理しなくても、ちゃんと働いてくれるだろうという、完全に性善説的な働き方ですね。
ただ、思うのは、目に見えるところに置いて管理したからといって、本当にその人が最大の力を出しているかなんて誰にも分からないということ。
なら、管理もせずに自由にやらせても同じなんじゃないかな?
と、思う反面、従来の管理のやり方に慣れてしまっていると、なかなか、難しいのではないかと思います。
リモートワークで従来の管理をするとリモートワークの価値がなくなる
リモートワークした場合、管理をどうするか?が問題になる気がしますが。
管理したらリモートワークの価値がなくなる気がします。
8時から17時までと就業時間が決められて、会社が決めた枠内は会社で働いて、それ以外は個人の時間みたいな枠をリモートワークに当てはめると、折角の自由な時間が無理やり枠に押し込むことで使いにくくなります。
ただ、就業時間を取っ払うと残業代どうするの?とか、日常に仕事を溶け込ますと、仕事をやり過ぎてしまったり、仕事をやらなさ過ぎてしまったり、その塩梅が難しいところです。
モチベーションの維持も自分でしないといけないし、仕事モードにも一人で入らないといけない。
従来の半強制的に働かす会社という仕組みと、管理のゆるいリモートワークは全然違う仕組みなので、そこは対応できる人できない人、合う人合わない人が分れる気がします。
ソフトウェアの世界に「銀の弾丸などない」という言葉があるんですが、
リモートワークもそうで、リモートワークしたからと言って、幸せになるわけでも、生産性が上がるわけでも、効率化するわけでもない。
ただ、従来型のオフィスワークからリモートワークという選択肢が増えたのは、僕みたいなオフィスワークに馴染まない人達にとって、良いことだと思います。
トラベロコでリモートワーク半年やってみた感想です。
同じリモートワークと言っても、会社の文化によって全然違うんじゃないかと思ったりします。