道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

大崎上島日記 やりたくない仕事を、やりたい仕事に変える方法

一年前に造船所を辞め、養殖場で働き始めて1年経ちました。

 

怒涛のような一年でした、古株の人が何人か辞めて、新しい人も何人かやってました、そして、何人かは数か月で去っていきました。

 

自分も、もうこれ限界かもなぁ、と何度か思いながらも、なんとか、一年続きました。

 

やる気満々で、入ってきたのに数か月で辞めることになってしまった若い子達の話を聞いていると、自分のやりたいこと違ったといって、去っていきました。

 

自分のやりたい仕事を、出来たらそれは、素晴らしいことだと思う。

自分がやりたいことを、分かっているのは、いいことだと思う。

でも、やりたいポジションが、都合よく回ってくるとはかぎらない、仕事って自分のやりたいことばかりではない。

 

だからといって、やりたくない仕事を嫌々やるのは、時間の無駄だと思う。

 

でも、自分のやりたいことと違ったらなら、なんとか、自分のやりたくない仕事を、自分のやりたい仕事に、変えるようなアクションをして欲しかったなと思う。

 

言われた仕事を一生懸命やっていれば、そのうち、やりたい仕事が回ってくる、なんてことはないと思う。

言われたことを一生懸命やって、なんとか終わらせても、次にやってくる仕事は、やっぱり、やりたくない仕事だと思う。

 

この悪循環から抜け出すには、2つしか方法はないんじゃないかと思う。

 

1.やりたくない仕事をやらないでいい方法を考える

2.やりたい仕事を、勝手に始めてしまう

 

やりたくない仕事をやらなくていい方法を考える

 

養殖の仕事は、結構きつい仕事も多くて、普通にやれば、すぐに嫌になる仕事も多い。

でも、どうやったら、この仕事をなくせるだろうか?と、考えながらやっていると、ただの単純作業が、全然、違う仕事に変わる。

 

やりたい仕事を、勝手に始めてしまう

なんで、やりたいくない仕事をしているのだろう?

やりたい仕事でなかったと言って、辞めるくらいなら、頼まれもしないやりたい仕事を勝手にやりはじめて、クビになった方が、ましではないだろうかと、個人的には思う。

 

せっかく、やる気でやってきたのに、続けさせてあげられなかったのは、こちらの力不足で申し訳ないなと思う反面、もうちょっと、いろいろながんばり方があるのではないかぁと思う。

大崎上島日記 なんで、こんなに長時間労働しているんだろう??

今日の晩御飯。

 

お隣さんのフランス人のお父さんが日本に遊びに来ていて、お隣さんのフランス人はどこかに出かけていて、日本人の奥さんとフランス人のお父さんと家の家族という不思議な取り合わせで、一緒に晩御飯食べていたのですが、

仕事の話になって、週6日働いていると言うと、

とんでもなくビックリした顔で、

 

なんで、そんなに働いているんだ?、と聞かれて、

 

う~~ん、なんでだろうか?

 

と、返答に困った。

 

なんで、こんなに長時間労働してるんだろう??

 

街に行けば、たぶん、週5日で、もっと、給料の良い仕事はあるんだろうなとは思う。でも、一日中、コンクリートのビルに閉じ込められる生活には戻りたくないしなぁ。

家でフリーランスプログラマーなら、もっと、自由に働けるのかもしれないけど、家族を養っていけるのかな?どうなんだろうなぁ。

 

外で体動かす今の仕事気に入ってはいるのだけど、

この長時間労働の生産性の低さは、やっぱり、なんとかしないと。

最近、なんか麻痺していたけど、やっぱり、フランス人のお父さんの言うことは正しい。

 

どこからどう変えたらいいんだろう?

このままでは若い子達もそのうち辞めていくだろうし、自分自身も連れ合いの子育て期が終われば、辞めるだろうし。

普通にがんばるだけではダメなパターンだろうとは、思うけど。

 

やるだけやって、ダメなら、その時考えよう。

 

ニーバーの祈り
神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 

 

http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

人に迷惑をかけない生き方は可能だろうか?

なんか、口癖のように人に迷惑をかけたくないという人がいるけど、

人に迷惑をかけずに生きることって可能なのかな?

そんなことを思う。

 

生きている以上は、多かれ少なかれ誰かに確実に迷惑をかける。

何か自発的に動けば100%誰かに迷惑をかけるし、どんなに波風たてずに大人しく息をひそめて気配をけしても、必ず誰かに迷惑をかける。

 

成功するということは、その裏に失敗する人がいるということ。

勝つということは、その裏に負ける人がいるということ。 

 

なら、この世から存在を消してしまえばいいかというと、それでも、生んでくれた親に迷惑をかける。

無人島で自給自足なら?それでも、親はきっと心配するだろうな。

 

それなら、親が死ぬまで、親以外の人間関係を断って、親の前だけで幸せそうな息子を演じて、親が死んだら自らの存在を消せばいいのかというと、それはなかなか難しい。

 

第一に、無人島の自給自足以外で生きていこうとするとお金が必要、その為には、なんらかの方法で社会と関わらなければいけない。

第二に、そんな、まどろっこしいことしてまで生きる意味があるのかと思う。

結局、堂々巡り。

 

生きていたら誰かに迷惑をかける、死んでも迷惑をかける。

結局、生きていても死んでいても、存在している以上何をしても迷惑をかける。

 

そもそも、人に迷惑をかけたかどうかなんて、本当は分からない。

自分が人に迷惑をかけたかどうかの判定基準なんて、その人基準であって、 とても曖昧。迷惑をかけているのに気づかない人もいるし、必要以上に気にする人もいる。

 

なんだか、めんどくさい話になってきたけど、結局、誰かに迷惑をかけずに生きるなんて不可能だということ。

 

誰かに迷惑かけてもいいんじゃないかな?

その分、誰かからの迷惑を引き受ければいい。

親子の関係は基本そうだと思うし、仕事もそうなんじゃないかと思う。

 

自分を助けてくれている優秀な同僚は、誰かに迷惑をかけて育ててもらって、そして自分を助けてくれている。

沢山の人に迷惑をかけて去っていた後輩が、いつかどこかで誰かの助けになったなら、それでいいんじゃないかなぁ。

 

人にたくさん迷惑をかけたと、自覚がある人ほど、他人対して優しくなれる気がする。

大崎上島日記 仕事はシンプル

と、ある人が言っていた言葉。

その通りだなぁと、と思うけど、なかなか、そう思えない仕事も多い。

 

いくら大きな仕事でも、一つ一つは小さなプロセスの繋がり。

小さなプロセスに分解してみると、

 

出来ることは、出来るし。

出来ないことは、出来ない。

出来ないことは、誰か出来る人にやってもらうか、出来るような方法を考えるか。

 

プロセスを小さく分解して、それをゴールまで繋げていく。

 

それだけなんだと思うけど、実際やると結構難しい。

大崎上島日記 余計な気遣いはいらないから、判断材料をおくれ

今、一緒に働いているアルバイトさん。

とても、がんばってくれているんだけど、うーん?と思うことが、時々、ある。

 

昨日も、「お時間あれば、○○に一緒に来てください」

 

と言われて、

 

なぜ、一緒に行かないといけないの?

一緒に、来てほしい理由は?

君の意図は何?

 

のようなやりとりをしていたのですが、

 

”時間があったら”っというのは、彼なりの気遣いなんでしょうが、気遣いいらんから、必要な情報をおくれと、

 

時間があってもなくても、大事なことなら時間つくるし

時間がどんだけあっても、無駄なことならしないし

 

そんなことを思った。

相手にとって、必要な情報が何かを判断するのは難しいから出来なくても、自分が相手になんでそれをして欲しいのか、ちゃんと、伝えることって結構大切かもしれないと、

彼とのやりとりで、そんなことを思うのでした。

大崎上島日記 仕事はたのしいかね?

先日、久しぶりに読み返してみた、「仕事は楽しいかね?

 

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

 

 最近は、仕事しかしていなくて、

連れ合いに、「仕事は楽しいの?」と聞かれて、

ふと、仕事やっつけモードに入っていたことに気がつく。

 

自分の限界に近くなると、感情を遮断してしまう癖みたいなものがあるようで、

ここ最近は、ロボットのように無感情に仕事をしていたことに、

はっと気が付く。

 

なければならないに支配されると、本当に楽しくない。

 

試してみることに失敗はない

 

めんどくさいことを無感情にやるより、

変えることのめんどくささを取ろうと思う

 

めんどくさいのは嫌だけど、かと言って、めんどくさくないことは、退屈だし

我ながらめんどくさい性格だと、つくづく思う

大崎上島日記 子供の世界

先週末から急激に涼しくなりました。

暑かった夏も終わり、秋の気配を感じます。

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今日は、久しぶりに何も予定のない休日。

ぼ~っと、してます。

相変わらず瀬戸内海はきれいです。

 

子供たちは、幼児の時代を終わって子供になってきました。

二人の世界で遊んでいて、大人が入ると緊張するようで、ぴったと動きをとめる。

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妖怪ウォッチやら動物やらになりきって、二人でずっと遊んでいるようです。

きっと、二人で大人が分からない世界を共有しているんでしょうね。

 

自由に遊べる空間がある、この家に来てよかったと思います。

子供時代に体を使って、頭(想像力)を使って、おもいっきり遊ぶことが、これから成長するための基礎になると思うんですよね。

 

勉強は、遊びで培った経験や体験を体系的にまとめる手段ではないのかな?

という気がしています。

考え方はいろいろだと思いますが。