道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

人生はクソゲーか?

ちょっと、まじめな話です。

この、年収150万でオンラインゲームに生きていくと言う記事を読んで考えた事を書いてみました。


年収150万でオンラインゲームの世界に生きていく - きりんの自由研究@Hatena Blog

 

この人が出している結論は分かる気がします。

 

結論としてこの記事で何が言いたいかというと、オンラインや2次元、その他資本主義以外の価値を正しく見出した人たちは、自分の価値観を信じて生きるべきだということだ。絶対。

 

ただ、資本主義が意味しているところは、あまり、分かっていません。

自分なりの解釈では、お金以外の価値と言うことなんだろうと思います。

僕自身も、田舎暮らし願望の強いサラリーマンですし。

 

もで、一点どうしても引っかかるところが、

 

デジタルネイティブ世代に人生はクソゲーだと気づかれている

 人生はクソゲーなのか?

この人の言いたい事の本筋ではないとは分かっていますが、ここにどうしても、引っかかりを感じます。

確かに、僕も高校時代、大学時代、社会人になって暫くは、同じように思っていたように思います。(今も若干そうかもしれません)

いい学校行って、いい会社入って、それが何なんだろうか?

と、ず~っと思いながらも、特にやりたいことも見つからず、何の為に生きているのだろう?、と思いながら過ごしていました。

勿論、恋愛したり、部活(バレーボール部)したり、一人旅したり、それなりには楽しんでいました。

でも、胸の中には大きな虚無感を抱いている感じでした。そういった感覚は、きっと、大小差はあると思いますが、誰にでもあるんじゃないかと思います。大体の人は思春期に抱いて、何らかの形で解決するか、働き始めて忘れてしまうか、するのでしょうかね?人の事は分かりません。

その虚無感を見つめ続ける人が、哲学者になったり、宗教家になったり、するんじゃないだろうか?と思っています。

 

人生をクソゲーにしているのは自分

自己啓発書などによく書かれている事ですが、

結局、人生に意味なんてない、そこに意味を見つけるのは自分です。

死ぬこと以外は、特に決まったイベントはない、基本的には。

仏教でも、一切は苦だと言っているように、それは大昔から変わらない。

自分の人生クソゲーだと、思えばクソゲー人生になる、と言うことだと思います。

 

自分の子供達に、クソゲー人生を過ごしてほしくないなぁ

なんで、ここにこんなに引っかかりを感じるかと言うと、自分の子供達に、そういう人生を過ごして欲しくないと思うからです。

せっかく無事に生まれて生きているんだから、精一杯命を燃やして生きて欲しいと願っています。自分の人生をクソゲーと言って欲しくないな、と言う想いが強い。

 

でも、その想いは自分にも返ってくる。

きっと、自分の親もそう願って大きくしたんだろうと思うので。

そう想うと、他の人も、誰からから生まれたのは確実なので、自分の人生クソゲーだと思って欲しくないな、と思ってしまうのだろうと思います。

 

クソゲー人生を変える起爆剤

自分が体験して、一番簡単で効果的だろうと思うのは、最貧国で暮らすことです。

僕は海外青年協力隊として、2年間アフリカ南部にあるモザンビークで生活しました。

そこでは、クソゲーの人生を生きることは、とても、贅沢な事です。

 

生きること自体が、サバイバルみたいな感じもあります。

ストリートチルドレン、エイズマラリア、強盗、すり、などなどなど。

毎日がサバイバルで、何も起こらない日はあまりない。

悪いこともいっぱいありますが、それ以上に楽しいこともあります。

動物としての人の生命力を感じることが出来るところです。

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別に、自分より大変で貧しい人達がいるのに、この豊かな日本で何を文句を言っているんだ!と言うことを言いたいのではないです。

 

この豊かな日本で感じる、閉塞感、虚無感、希望のなさは相当重症だと思います。住んでいる人の幸福度はモザンビークより低いんじゃないでしょうか。

 

でも、モザンビークに2年住んで帰ってくれば、日本は天国のようだと思うと思います。これは、飢餓状態でおにぎりを食べたら美味しいのと同じだと思ますが。

 

電気が止まらない事、お湯が出ること、バスが時間通りに来ること、水道から水が出ること、仕事があること、などなどなど、言い出したらきりがないくらい、日本は凄いです。見ること全てに幸せを感じます。

 

でも、人は幸せに慣れるのは早いようで、半年もすればその感動はなくなりますが。(笑)

 

もし、自分の息子が人生をクソゲーだと感じると言うのなら、モザンビーク送り込もうと思います。

 

ネット社会の危うさ

後、日本いれば国は壊れないと思い込むと思いますが、モザンビークのような壊れた国に行くと、国って壊れるんだなあ、と実感します。

 

今の日本みたいな、みんなの過剰な労働によって成り立っている、便利さって、何か一つ歯車が崩れると、とたんに崩壊しそうな、危うさを感じます。

別に何か根拠がある訳ではないです。

僕が、アナログ世代の人だからか、そう感じるのかもしれません。

ネットいくら繋がっても、人口知能が賢くなっても、供給するモノがなくなれば、それが一体なんの役にたつのだろう?

この日本で当たり前だと思っている事は、結構、危ういと本能的に感じている若い人達も増えているんではないか?と思っています。

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そんな、いろいろなことを考えるきっかけになった、記事でした。