人生はクソゲーか?
ちょっと、まじめな話です。
この、年収150万でオンラインゲームに生きていくと言う記事を読んで考えた事を書いてみました。
年収150万でオンラインゲームの世界に生きていく - きりんの自由研究@Hatena Blog
この人が出している結論は分かる気がします。
結論としてこの記事で何が言いたいかというと、オンラインや2次元、その他資本主義以外の価値を正しく見出した人たちは、自分の価値観を信じて生きるべきだということだ。絶対。
ただ、資本主義が意味しているところは、あまり、分かっていません。
自分なりの解釈では、お金以外の価値と言うことなんだろうと思います。
僕自身も、田舎暮らし願望の強いサラリーマンですし。
もで、一点どうしても引っかかるところが、
人生はクソゲーなのか?
この人の言いたい事の本筋ではないとは分かっていますが、ここにどうしても、引っかかりを感じます。
確かに、僕も高校時代、大学時代、社会人になって暫くは、同じように思っていたように思います。(今も若干そうかもしれません)
いい学校行って、いい会社入って、それが何なんだろうか?
と、ず~っと思いながらも、特にやりたいことも見つからず、何の為に生きているのだろう?、と思いながら過ごしていました。
勿論、恋愛したり、部活(バレーボール部)したり、一人旅したり、それなりには楽しんでいました。
でも、胸の中には大きな虚無感を抱いている感じでした。そういった感覚は、きっと、大小差はあると思いますが、誰にでもあるんじゃないかと思います。大体の人は思春期に抱いて、何らかの形で解決するか、働き始めて忘れてしまうか、するのでしょうかね?人の事は分かりません。
その虚無感を見つめ続ける人が、哲学者になったり、宗教家になったり、するんじゃないだろうか?と思っています。
人生をクソゲーにしているのは自分
自己啓発書などによく書かれている事ですが、
結局、人生に意味なんてない、そこに意味を見つけるのは自分です。
死ぬこと以外は、特に決まったイベントはない、基本的には。
仏教でも、一切は苦だと言っているように、それは大昔から変わらない。
自分の人生クソゲーだと、思えばクソゲー人生になる、と言うことだと思います。
自分の子供達に、クソゲー人生を過ごしてほしくないなぁ
なんで、ここにこんなに引っかかりを感じるかと言うと、自分の子供達に、そういう人生を過ごして欲しくないと思うからです。
せっかく無事に生まれて生きているんだから、精一杯命を燃やして生きて欲しいと願っています。自分の人生をクソゲーと言って欲しくないな、と言う想いが強い。
でも、その想いは自分にも返ってくる。
きっと、自分の親もそう願って大きくしたんだろうと思うので。
そう想うと、他の人も、誰からから生まれたのは確実なので、自分の人生クソゲーだと思って欲しくないな、と思ってしまうのだろうと思います。
クソゲー人生を変える起爆剤
自分が体験して、一番簡単で効果的だろうと思うのは、最貧国で暮らすことです。
僕は海外青年協力隊として、2年間アフリカ南部にあるモザンビークで生活しました。
そこでは、クソゲーの人生を生きることは、とても、贅沢な事です。
生きること自体が、サバイバルみたいな感じもあります。
ストリートチルドレン、エイズ、マラリア、強盗、すり、などなどなど。
毎日がサバイバルで、何も起こらない日はあまりない。
悪いこともいっぱいありますが、それ以上に楽しいこともあります。
動物としての人の生命力を感じることが出来るところです。
別に、自分より大変で貧しい人達がいるのに、この豊かな日本で何を文句を言っているんだ!と言うことを言いたいのではないです。
この豊かな日本で感じる、閉塞感、虚無感、希望のなさは相当重症だと思います。住んでいる人の幸福度はモザンビークより低いんじゃないでしょうか。
でも、モザンビークに2年住んで帰ってくれば、日本は天国のようだと思うと思います。これは、飢餓状態でおにぎりを食べたら美味しいのと同じだと思ますが。
電気が止まらない事、お湯が出ること、バスが時間通りに来ること、水道から水が出ること、仕事があること、などなどなど、言い出したらきりがないくらい、日本は凄いです。見ること全てに幸せを感じます。
でも、人は幸せに慣れるのは早いようで、半年もすればその感動はなくなりますが。(笑)
もし、自分の息子が人生をクソゲーだと感じると言うのなら、モザンビーク送り込もうと思います。
ネット社会の危うさ
後、日本いれば国は壊れないと思い込むと思いますが、モザンビークのような壊れた国に行くと、国って壊れるんだなあ、と実感します。
今の日本みたいな、みんなの過剰な労働によって成り立っている、便利さって、何か一つ歯車が崩れると、とたんに崩壊しそうな、危うさを感じます。
別に何か根拠がある訳ではないです。
僕が、アナログ世代の人だからか、そう感じるのかもしれません。
ネットいくら繋がっても、人口知能が賢くなっても、供給するモノがなくなれば、それが一体なんの役にたつのだろう?
この日本で当たり前だと思っている事は、結構、危ういと本能的に感じている若い人達も増えているんではないか?と思っています。
そんな、いろいろなことを考えるきっかけになった、記事でした。