先日、なんとなく読んだ、「ソバニイルヨ」
主人公のお父さんは人工知能科学者で、思春期を迎え難しいお年頃になった息子に、人工知能ロボットのユージを残して、海外に長期出張に出かける。
そのロボットは「アイヲツタエルタメニツクラタ」、人工知能との対話を通じて、主人公が成長していく物語。
物語として普通に面白かったのですが、
中学校になり勉強したくない主人公が、
「勉強して一体何が手に入るの?」
と人工知能のユージに問いかけるシーンがあって。
その答えを知るには、
「それはやらなきゃいけない最低限を超エルしかない」
と、人工知能のユージは答える。
最低限を超えるには、量的に超える方法と、質的に超える方法とがあると、ユージは続ける。
・・・
これって、僕が、Webプログラミングを習得する時に意識していたこと、そのまんまだなぁと思った。
やらなきゃいけない最低限
・動くプログラムが作れること
まあ、プログラマーなんだから、動くプログラムを作れて当然。
・Gitが使えること
バージョン管理は、絶対必要。
量的に超える
テストが書ける事。
プログラムとテストコードは表裏一体。
質的に超える
普通の作業を、どれだけ当たり前に行えるかという事。
できる人とできない人の差って、日々行う普通の作業の差じゃないかな?
めっちゃ難しい仕事は、誰がやってもそこそこ時間がかかる、結局、差がついているのは、簡単な作業をどれだけ簡単に終わらせることが出来るかじゃないかな、と思っています。
最低限はどこなのか?
目的に対して最低限のラインはどこなのか?
プログラムが作れると一口に言っても、レベルは色々。
自分の場合、自分が採用する立場だったらどのラインかで決めました。
結果的に、相手の思う最低限のラインは超えていたよう。
結構、いい本だったので、息子達に「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたら渡してみてもいいかも知れないと思う。