道草道

大崎上島での移住の記録(2016年4月~):子育て・古民家改造・裏山開拓・造船所・たまにプログラミング

仕事ができるってどういうことだろう?

昔から『仕事ができる』ってどういうことだろう?

と、よく思っていました。

 

ネットで調べると、いろいろ出てきます。

 

liginc.co.jp

 

naifix.com

 

言っていることは、その通りだと思うのですが、いまいち腑に落ちない。

 

社会人になりたての頃は、技術的に優れた人だと思っていました。

ひたすら専門書を読んで、どんどん新しい技術を身につけようとした。

でも、会社で使う技術は、そんなに高度な知識はいらなくて、その結果、簡単な仕事を難しくしてしまうような、困ったちゃんになりました。

 

社会人になって7年目の頃は、仕事を速くこなせる人だと思っていました。

とにかく目の前の仕事を、どんどん捌けばいいのだと思って、仕事マシーンになったつもりで、仕事をやっつけていました。

その結果、どんどん、仕事が集まってきて、やればやるほど仕事だらけになって、殺意を抱きながら仕事をやっつけていました。

 

社会人10年目、もう、仕事はできなくていいやと思って、育児時短勤務をしました。

legacycode.hatenablog.com

 

自分の仕事を誰にでもできるように考えて、新しい人を育てて、無駄な仕事はしないようにして自分は15時に帰るようにしました。

その結果、以前の倍以上の仕事をこなせるようになりました。

 

そして、今。

大崎上島に移住し、新しい造船所の仕事を一からはじめました。

仕事ができる人たちは、殺人的な忙しさで、なかなか声をかけにくい。

最前線でない若干時間のある人たちが、なんやかんやと話しかけてくれて、いろいろと勉強になっています。

 

仕事ができるって何でしょうね?

前からよく分からなかったけど、今もよく分からない。

 

そんなことを考える今日の頃。

大崎上島日記 田舎暮らしでも、子供たちの教育について、まったく心配していない理由

田舎へのIターンにはいろいろ障害があると思います。

一番の課題は仕事、住むところ、子供がいる場合は子供の教育環境を心配することが多いのではないかと思います。

 

仕事と住むところは以前書きました、本当に奇跡的な縁の連続でした。

legacycode.hatenablog.com

教育については、実は、まったく心配していませんでした。

 

理由としては、

  1. 連れ合いの存在
  2. 自分自身が進学塾に行っていない

ということがあります。

 

一つ目は、連れ合いが小学校の教員で、我が子で、いろいろな学習効果を試していて、この人に、任せておけば大丈夫だろうと思っているところが大きいです。

ameblo.jp

ameblo.jp

連れ合いにとって、この移住は、海あり山あり自然豊かな大崎上島という最高の教材を使って、子供の教育をしてみたいというテーマがあるように思います。

 

もう一つの理由は、自分自身が中学校、高校時に塾に行かずに、滋賀の田舎の中学、高校を卒業して、関西では一流といわれている同志社大学に行けてしまったので、特に学習塾に行く必要がないと思っているところが大きいです。

 (補足:1年間の浪人生活では河合塾に行っています)

 

今までそれが普通で、なぜ、自分が進学塾に行かずに大学に行けたのか考えたこともなかったのですが、自分の子供の教育のこともあるので少し自分の過去を振りかえてみました。

 

その結果、自分の両親の教育方針は結構よかったのでないかと思ったので、記録しておきます。

 

振り返ってみて、よかったのではないかと思うのが、次の3つです。

 

  1. 勉強する基礎を早く作る
  2. 一つ上の具体的な要求をする
  3. 親が常に勉強している

 

勉強する基礎を早く作る

中学、高校は、ほぼ毎日バレーボール漬けの生活をしていて(滋賀県ではそこそこ強かった)、家に帰ったら寝るだけで、塾に行く時間もなかったのですが、小学校の時は、そろばん、習字、公文、英会話、スイミングスクール、剣道といろいろ習い事をしていたように思います。

これを同時にはしていなくて、週2日程度だったと思います。

 

これとは別に、当時、学研のホームスタディという学習教材を買っていて、自宅で自主学習をしていました。

小学校のときに親から言われた記憶は、

予習、復習をすること

当時、あまり予習とか復習とかの概念を理解していなかったと思いますが、学研の教材を勝手に勉強していることが予習になり、授業で復習するという感じだった気がします。

 

正直なところ、小学校時代の貯金で、中学、高校と特に苦労なく勉強が出来てしまった気がしています。

自分で勉強する基礎を小学校で作ったことは、結構、重要な要因だった気がします。

 

一つ上の具体的な要求をする

 

子供時代を振り返ってみると、

勉強しなさいと言われた記憶がありません。

ひょっとしたら言われていても、忘れているのかもしれませんが。

 

その代わり、

先ほど書いたように、小学校では、予習と復習。

 

中学校では、

1.定期テストの学習計画を立てること

2.テストをファイリングして自分の出来なかった問題を分析すること

 

を求められました。

高校では、一切何も言われた記憶がない。

 

よく考えるとこれって、とても高度なことだなぁと思います。

 

勉強しろというと、何をもって勉強と言うのか?

を言っていないので、机に座ることが勉強、塾に通うことが勉強と勘違いして、まったく、意味がないことが多い気します。

 

僕の場合は、勉強しろという曖昧なことでなくて、具体的な行動を要求されています。

 

中学の当時は、なんで、こんなことをやらされるのか、あまり理解していなくて、効果があったのかなかったのか不明ですが、この時から自分の学習計画を自分で作って、その進捗を自分で確認するという習慣が付いたように思います。

 

これは、PDCAサイクルを回すそのもので、両親が意識してそれをしたのかは知りませんが、社会人になっても役に立っているように思います。

PDCAサイクル - Wikipedia

 

親が常に勉強している

  

小学校の時、子供部屋のとなりが父親の勉強部屋で、夜遅くまで隣の部屋から明かりが漏れていて、英会話の勉強をしていた父親の姿を思い出します。

父親は機械設計の仕事をしていたのですが、個人的に機械の月刊の専門誌を購読していていたりもしました。

 

自分が大人になって知ったのですが、大人になって勉強を続ける人って、そんなにいないですよね。

 

子供の頃の僕は、父親しか知らないので、大人になっても常に勉強するものだと思っていて、なぜ勉強しなくてはいけないのかと思ったことがなかったように思います。

 

これって結構、重要なことですよね。

 

まとめ

自分の過去を振り返ってみて、進学塾に行かずに大学に行けたのは、偶然ではなかったのだと思いました。

 

ただ、上記の方針は比較的従順でまじめな長男の僕には合っていたのですが、反発心が強い次男には全然あっていなかったように思います。

彼は大学卒業後、海外に飛び出し、海外放浪者になってしまいました。今は日本に戻ってきて、それなりに楽しくやっているように思いますが、父親の教育方針に関しては、今も納得がいっていないようです。

 

結局、親に出来ることは、自分が最善だと思うことをすることだけだと思います。

それが正しいかどうかなんて、誰にも分からない。

それが我が子にあっているかどうかも、誰にも分からない。

自分が信じる最善を与えることが出来るだけ。

 

よい環境を与えてくれた両親に感謝しつつ、大崎上島に移住しなければ、自分がなぜ塾に行かずに大学に行けたのか考えることもなかったので、やっぱり、移住の選択はよかったのだと思います。

大崎上島日記 造船所という働き方

大崎上島に移住し、造船所で働き始めて、2ヶ月半程経ちました。

株式会社 松浦造船所 - 新時代へのプロローグ!!

 

まだまだ、分からないことだらけですが、随分仕事っぽくなってきたかな?

と言う感じです。

 

前職ではソフトウェア開発をやっていた僕が造船所で何をしているかと言うと、設計部に置いてもらって、設計のお仕事をしています。

 

造船の知識ゼロ、設計の経験ゼロで入ってきてしまったので、

入社して1ヶ月は、造船の基礎知識を学び、

次の2週間はCADソフトの使い方を学び、

次の2週間で図面の書き方を学び、

現在は、簡単な図面を書き始めた、そんな感じです。

 

もちろん、船体全体の図面なんか書ける訳がないので、ポンプの台とかタンクの台とか、艤装と呼ばれる船で使う装置を船に据え付ける部分の設計図を、ぼちぼちとやり始めています。

 

今日は、指導してもらっている人に、

「大分、図面っぽくなってきましたね」

と、言われ、ぽくって?どういう意味だろう??

と思いながらも、まあ、進歩していると言うことなのかな?

と、思ったりしながらも、それなりに、楽しく過ごしている日々です。

 

今日は、ちょっと、造船所についか書いてみます。

 

造船所と言うと、3Kと言われることが多いようでうす。

 

危険

汚い

きつい

 

まあ、確かにその通り。

頭上には常に何百キロもある鉄板の行き来し、溶接の火花は常に飛び散り、船は鉄の塊なので夏は灼熱の熱さで、冬は凍る冷たさらしい(まだ、体験していませんが)。

 

でも、正直なところ、最初にイメージしていた過酷な労働環境とは少し違いました。

 

僕がイメージしていたのは学生の頃経験した引越しバイト。

一日中、重い鉄鋼を運びつづけ、現場監督に急げと怒鳴りつけられ、気の荒い人が多い。

一日の終わりには、疲れ果て、ぼろぼろになって帰路に付くイメージでした。

 

実際の造船所で、あまり単純な肉体労働はないように思います、そもそも鉄板は重すぎるのでクレーンで運びます。鉄板を吊るのは、とても、危険なので、そんなに急いで慌しく運んだりしないです。まあ、当然といえば当然なんですが。

後、もくもくと仕事をする寡黙な人が多い印象です。

(今の造船所以外の他の造船所は知らないですが)

 

造船所の扉を開いてみると、そこは肉体労働者の世界でなく、職人の世界でした。

今まで見てきた量産品の生産ラインとは全然違うもの作り世界。

 

船って、量産ではなくて、オーダメイドの世界なんですね。

 

巨大な船、一隻、一隻を職人さん達が作り上げていく世界。

 

結構新鮮だったのは、現場の人と設計の人のやりとり。

現場の人が、「こんな感じで作っとけばいいんか?」みたいな感じで設計の人に聞いて、

「じゃあ、そんな感じで作っとくし」

みないな感じで、物が出来ていく。

 

もちろん、厳密に設計しないといけない部分は、設計するのですが、配管とか、僕が今しているような台とか、現場で寸法を合わして作っていく。

こういう光景は、量産ラインでは、ほぼないと思います。

 

後、無駄なミーティングがほぼない。

ちょっと、打ち合わせしなさすぎでは?

と、思ったりすることもあります。

まあ、何年も一緒に少人数で働いているので、役割分担が自然に決まっているというのもあるのでしょうが、すごく自律的に働いている感じがします。

だから、入ったばっかりの僕みたいな人は、何をしていいのかさっぱり分からないことが多くて、困るのですが。^^;

 

6月5日あった、進水式の風景。

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進水式とは、船台で作られた船が、海に入る儀式です。

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無事に船が進水。

進水直後から、後片付けを特に指示もなく始める現場の人たち。

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今は、引き渡しに向けて、最後の仕上げが急ピッチで進んでいます。

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造船所は、確かに3Kの職場だと思います。

危険だし、汚いし、きついし。。

(給料安いと言っている人もいた(笑)

 

造船業自体が将来が不安定、職人さんの高齢化、

休みも少ないし、進水式の前は、土曜日も日曜日もなくなるし、

問題は山のようにあります。

 

でも、火花を散らしながら、日々、目の前で巨大な船が出来ていくのは、おもしろい。

造船って、面白いポジションの産業だと思います。

機械でもあり建築物でもあり、工業製品だけど職人の技の塊でもある。

 

実際に造船所で働いてみて、造船所で働くっていう選択肢も結構いいと思います。

でも、誰にでもお勧めできるかというと結構微妙。

自分の身を守るのも全てが自己責任な世界な気がします。

なんか、途上国で暮らすのと似ている。

そんな感性の人にはお勧めです。

大崎上島日記 地域おこし協力隊の光と影

たまたま、目にした地域おこし協力隊にかんする二つの記事。

 

一つ目は、やる気はあるけど地域の要求とマッチしなかったケース。

dot.asahi.com

 

二つ目は、やる気なしのチャラ男くんのケース。

dot.asahi.com

 

二つのケースを、別にどうのこうのいうつもりはないですが、海外青年協力隊によく似ているなぁと思う。

 

海外青年協力隊の場合、言葉も十分に話せない状態で完全に別世界に行くので、ある程度あきらめというか、少々のことでは、びっくりしない覚悟が出来る。

チャラ男くんのように、肩の力を抜いて挑むほうが、結果的に異文化に上手く溶け込めることもあると思います。

 

でも、地域おこし協力隊の場合は、相手が同じ日本人なので、話せば通じる気がして、余計に難しいのかもしれない、なんて、気がします。

 

僕は、地域おこし協力隊ではないですが、やっていることは、ほとんど地域おこし協力隊みたいなものだと思います。

一歩間違えば、この2人と同じような運命をたどるんだろうなぁ、なんてことを思います。

 

海外青年協力隊や地域おこし協力隊にかかわらず、普通の会社勤めでも、基本は一緒じゃないのかな?なんてことを最近思います。

 

変えられるのは自分だけ

 

人を変えよう、組織を変えようとするのは、ほぼ上手くいかない。

ただ、既存の組織の風習に従えと言いたい訳ではないです。

 

たとえば、既存の組織で情報が上手く伝達できていないなぁと思った場合は、情報を上手く流れるようにするだけで、結構、上手く回りだすこともあります。

 

自分を変えても、たぶん変わらない自分の芯みたいな個性があります。

きっと、その部分で勝負すればいいのではないかな?

なんて事を思います。

 

 他人を責めたくなるときには、定番ですが「嫌われる勇気」がお勧め。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 本気で組織を変えてみたい人には、この本なんかが参考になる気がします。

ディープ・チェンジ 組織変革のための自己変革

ディープ・チェンジ 組織変革のための自己変革

  • 作者: ロバート・E・クイン,Robert E. Quinn,池村千秋
  • 出版社/メーカー: 海と月社
  • 発売日: 2013/07/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 最初に2つの極端な記事を紹介してしまいましたが、大崎上島の地域おこし協力隊の人も含め、たいだいの人は、がんばっていると思いますよ~。

僕は、地域おこし協力隊という制度は結構好きです。

大崎上島日記 プロの仕事と素人の仕事

最近、勇気をもらった本、『自分でわが家を作る本。』

自分でわが家を作る本。

自分でわが家を作る本。

 

 

作者はサラリーマンをしながら、こつこつと9年間かけて自分の家を建てた。

朝4時半に起きて木の加工をして会社へ、そんな話が楽しそうに綴られています。

 

この本を読んでいると、素人の仕事っていいなと思います。

 

ところで、素人とプロとの違いは何でしょうか?

技術的なことを思い浮かべるかもしれませんが、

どれだけ時間をかけられるか、かもしれないと思います。

 

なんでもお金で買える時代、本当は時間をかければ素人でも出来ることも、

出来ないと思い込んでいることが多いのかもしれないと思いました。

 

素人なんだから、プロみたいに、

速くキレイに手際よくする必要なんて本当はないんだという、

当たり前のことに気がつかされます。

自分の好きなものを、自分のペースで作っていく生活って素敵ですね。

 

僕も、楽しみながら自分のペースで、この家と裏山を居心地のよい空間に変えていきたいなぁと改めて思いました。

 

自然の恵みを上手く生かして、田舎生活と街の生活のよいとこ取りの生活を目指して、

大崎上島の古民家で山生活の技術の習得中です。

山で暮らす愉しみと基本の技術

山で暮らす愉しみと基本の技術

 

 

楽しい山里暮らし実践術

楽しい山里暮らし実践術

 

 

大崎上島日記 雨の日には雨漏り

昨日の大雨で、初めての雨漏りを体験。

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屋根に積もった葉っぱを落としている時に、瓦が古くなっていることに気になっていましたが、大雨になると瓦に染み込んで雨漏りが発生するようです。

 

マンション暮らしの時は、家が雨漏りするとは考えもしませんでしたが、

家を木で作る限り、瓦の隙間があれば水も染み込んでくるという、

当たり前のことに気がつかされます。

 

ここで暮らし始めて、家が呼吸しているのをすごく感じます。

雨が降ったら湿気るし、晴れたらカラっとしている。

地面に湿気を溜めれば柱も腐ってくるし。

 

裏山からやってくる水や湿気や落ち葉を上手く循環させてやらないと、

流れが滞ったところが、腐ったり、虫が湧いたり、崩れたり。

 

街で住めば、こんな面倒なことは発生しないのだけど。

 

でも、晴れた日の爽やかな風や緑に囲まれた爽快さは、

街では、感じることが出来ないですね。

 

何が豊かな暮らしなんだろうかと?

よく考えます。

 

自分たちは街の便利な生活を手放して、

ここで暮らし始めた訳ですが。

 

個人的に感じていることは、人自体が生物なので、

ある程度、自然に即した生活の方が体が楽な気がします。

 

雨の日は雨の日なりに、晴れの日は晴れの日なりに、

人の体調は一定でないことに気がつくのは、結構重要な気がしています。

 

大崎上島日記 田舎への転職について思うこと

田舎暮らしに憧れて、Iターンを考えたとき、一番の心配事は、やっぱり仕事だと思います。

 

どこでも食べて行けるような技術があれば問題ないのですが、僕みたいな普通のサラリーマンだった人が、Iターンしようと思うと、地元にある会社などに就職という選択肢になると思います。

 

都市のように、いろいろと職種があればいいのですが、地方の場合、働き口は限られています。 

 

前職の知識や技術が生かせればいいのですが、なかなか条件にあった職が地方にないのが現状だと思います。

まったく造船の知識ゼロの状態から、島の造船会社で働き始めてもうすぐ2ヶ月。

1週間に一日位は、自分があまりに仕事が出来ないので凹んだりしますが、それなりに楽しくやっています。

 

自分は平凡なサラリーマンだけど、田舎暮らししたいなぁと思っている人へ、

普通にサラリーマンをしながら転職の準備は出来るような気がしています。

自分の転職で大切だったと思うことは、次の3つ。

 

  1. 自分のゆずれないことを知ること
  2. 未知の状態で自分がどうなるか知ること
  3. 居場所を作る力

 

自分のゆずれないことを知ること

自分の中で、何が一番大切なのか?

自分がゆずれない部分はどこなのか?

当たり前のようですが、これが一番大切だと思います。

 

僕の場合は、次の3つでした。

1つ目、自然と共に暮らすこと

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2つ目、モノ作り

作るモノに対してこだわりはなくて、ソフトウェアでも木工でも電子部品でも、なんでもよかった。

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3つ目、家族みんなが幸せになること

 

田舎暮らしをしたい場合、自分の軸がどこにあるのか?

把握しておくことが重要だと思います。

その軸以外は捨ててしまってしまってもいいと思えれば、意外と選択は楽になります。

 

未知の状態で自分がどうなるか知ること

いくら入念に下調べしても、その職場でやっていけるかどうかは、本当のところは実際にやってみないと分かりません。

最後は、覚悟を決めて「エイヤ!」と飛び込むしかない訳ですが、やっぱり怖い。

 

でも、その練習は転職する前に出来る気がします。

一番、簡単なの練習は、部署異動だと思います。

技術系から営業に行ってみるとか、そういうことを経験しておけば、知らない環境に放り込まれたとき自分がどうなるのか?知ることが出きると思います。

僕の場合は、海外青年協力隊のアフリカ生活の経験が大きかったです。

 

未知のゾーンに突入したときに自分がどんな状態になるのか?

どう自分を制御すればよいのか?

どうやって、自分を回復すればいいのか?

 

ある程度、保険がある状態で自分の限界を知ることが重要な気がします。

 

居場所を作る力

 最後に「エイヤ!」と飛び込んだ先で自分の居場所を見つけること。

人それぞれいろいろなやり方があると思います。

 

前職の経験が役に立ったのは、新人さんの教育プランを作って、教育をサポートしたことです。

なかなか計画通りには人は成長しません。

新人さんの成長に対する、周りの期待を客観的に知ったこと、人の学習測速度をなんとなく知ったことは、自分自身の教育プランを作るうえで参考なりました。

 

何も知識がない状態なので、仕事が出来ないのは仕方がない部分があるのですが、何も出来ない状態というのは、結構しんどいです。

そんなとき、客観的に自分の学習進捗度を見れる目をもっていれば、それなりに冷静になれる気がします。

 

現段階で大切だと思うことを書いてみました。

きっと、人それぞれ適した方法があるのだと思います。

  

本当に田舎暮らしを考える場合、現状の手持ちの技術で考えるのではなくて、自分の基礎力の部分で考えると選択肢が広がる気がしています。

 

ここで2ヶ月弱働いてみて、普通のサラリーマン生活でも、培っている力は結構あるのではないかと思いました。

 

半年、1年と働いてみて、気がついたことがあれば、また、書いてみたいと思います。