田舎へのIターンにはいろいろ障害があると思います。
一番の課題は仕事、住むところ、子供がいる場合は子供の教育環境を心配することが多いのではないかと思います。
仕事と住むところは以前書きました、本当に奇跡的な縁の連続でした。
legacycode.hatenablog.com
教育については、実は、まったく心配していませんでした。
理由としては、
- 連れ合いの存在
- 自分自身が進学塾に行っていない
ということがあります。
一つ目は、連れ合いが小学校の教員で、我が子で、いろいろな学習効果を試していて、この人に、任せておけば大丈夫だろうと思っているところが大きいです。
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連れ合いにとって、この移住は、海あり山あり自然豊かな大崎上島という最高の教材を使って、子供の教育をしてみたいというテーマがあるように思います。
もう一つの理由は、自分自身が中学校、高校時に塾に行かずに、滋賀の田舎の中学、高校を卒業して、関西では一流といわれている同志社大学に行けてしまったので、特に学習塾に行く必要がないと思っているところが大きいです。
(補足:1年間の浪人生活では河合塾に行っています)
今までそれが普通で、なぜ、自分が進学塾に行かずに大学に行けたのか考えたこともなかったのですが、自分の子供の教育のこともあるので少し自分の過去を振りかえてみました。
その結果、自分の両親の教育方針は結構よかったのでないかと思ったので、記録しておきます。
振り返ってみて、よかったのではないかと思うのが、次の3つです。
- 勉強する基礎を早く作る
- 一つ上の具体的な要求をする
- 親が常に勉強している
勉強する基礎を早く作る
中学、高校は、ほぼ毎日バレーボール漬けの生活をしていて(滋賀県ではそこそこ強かった)、家に帰ったら寝るだけで、塾に行く時間もなかったのですが、小学校の時は、そろばん、習字、公文、英会話、スイミングスクール、剣道といろいろ習い事をしていたように思います。
これを同時にはしていなくて、週2日程度だったと思います。
これとは別に、当時、学研のホームスタディという学習教材を買っていて、自宅で自主学習をしていました。
小学校のときに親から言われた記憶は、
予習、復習をすること
当時、あまり予習とか復習とかの概念を理解していなかったと思いますが、学研の教材を勝手に勉強していることが予習になり、授業で復習するという感じだった気がします。
正直なところ、小学校時代の貯金で、中学、高校と特に苦労なく勉強が出来てしまった気がしています。
自分で勉強する基礎を小学校で作ったことは、結構、重要な要因だった気がします。
一つ上の具体的な要求をする
子供時代を振り返ってみると、
勉強しなさいと言われた記憶がありません。
ひょっとしたら言われていても、忘れているのかもしれませんが。
その代わり、
先ほど書いたように、小学校では、予習と復習。
中学校では、
1.定期テストの学習計画を立てること
2.テストをファイリングして自分の出来なかった問題を分析すること
を求められました。
高校では、一切何も言われた記憶がない。
よく考えるとこれって、とても高度なことだなぁと思います。
勉強しろというと、何をもって勉強と言うのか?
を言っていないので、机に座ることが勉強、塾に通うことが勉強と勘違いして、まったく、意味がないことが多い気します。
僕の場合は、勉強しろという曖昧なことでなくて、具体的な行動を要求されています。
中学の当時は、なんで、こんなことをやらされるのか、あまり理解していなくて、効果があったのかなかったのか不明ですが、この時から自分の学習計画を自分で作って、その進捗を自分で確認するという習慣が付いたように思います。
これは、PDCAサイクルを回すそのもので、両親が意識してそれをしたのかは知りませんが、社会人になっても役に立っているように思います。
PDCAサイクル - Wikipedia
親が常に勉強している
小学校の時、子供部屋のとなりが父親の勉強部屋で、夜遅くまで隣の部屋から明かりが漏れていて、英会話の勉強をしていた父親の姿を思い出します。
父親は機械設計の仕事をしていたのですが、個人的に機械の月刊の専門誌を購読していていたりもしました。
自分が大人になって知ったのですが、大人になって勉強を続ける人って、そんなにいないですよね。
子供の頃の僕は、父親しか知らないので、大人になっても常に勉強するものだと思っていて、なぜ勉強しなくてはいけないのかと思ったことがなかったように思います。
これって結構、重要なことですよね。
まとめ
自分の過去を振り返ってみて、進学塾に行かずに大学に行けたのは、偶然ではなかったのだと思いました。
ただ、上記の方針は比較的従順でまじめな長男の僕には合っていたのですが、反発心が強い次男には全然あっていなかったように思います。
彼は大学卒業後、海外に飛び出し、海外放浪者になってしまいました。今は日本に戻ってきて、それなりに楽しくやっているように思いますが、父親の教育方針に関しては、今も納得がいっていないようです。
結局、親に出来ることは、自分が最善だと思うことをすることだけだと思います。
それが正しいかどうかなんて、誰にも分からない。
それが我が子にあっているかどうかも、誰にも分からない。
自分が信じる最善を与えることが出来るだけ。
よい環境を与えてくれた両親に感謝しつつ、大崎上島に移住しなければ、自分がなぜ塾に行かずに大学に行けたのか考えることもなかったので、やっぱり、移住の選択はよかったのだと思います。